孤独

仕事で人間関係に追い詰められて、

周りから総スカン、、、。

 

家族とも上手くいかなくて、

夫は職場の人みたいだし、

娘は言うこと聞いてくれないし。

 

他の誰とも会うのも

どうにも煩わしくて避けていた

今日この頃。

 

多分、

限界まで行き着いて、

ようやく、

 

怖れが剥がれ始めました。

 

身を守るために、

ずっと生きてきました。

それは、

生き延びる作戦でした。

 

たくさん努力しました。

周囲の気配もうかがいました。

間違えないように。

ずっと、我慢。

目立たぬように。抑えて。抑えて。

 

怖れが剥がれてきたら、

そこには、

孤独がありました。

今度は、

どれだけ

孤独なのか

 

身に沁みました。

 

自覚できなかった、孤独感。

 

私は怖れから、

周りは敵に思えていたので

人といるのがつらく、

一人になりたいと、

ずっと思ってきました。

 

常に

敵と一緒にいる緊張感。

 

孤独なんて、

大したことじゃなかったんです。

 

けれど、怖れが強制的に剥がれた今日。

ほんの少し、

ささいなことだけれど、

破れかぶれで、

勇気を出して、

人と繋がってみたら、

氷が溶けたような、

ぬくもりが湧いてきて、

涙がたくさんあふれてきて、

 

ハートが開きました。

 

状況はほとんど変わっていないのに。

 

人を好きになるということが

普通にあるんだと知った日。

恋愛ではなくて、

同僚や、友人、家族に、普通に

好意をもってもいいんだなんて、

知らなかったんです。

 

孤独すぎて、それが、当たり前過ぎて。

 

「愛を中に入れさえすれば、あなたは天国にいる」

 

愛が中に入れた日。

嬉しい。

 

 

追伸

子供からの愛は無条件の愛。

尊いです。

ママ、迷子でごめんね。あなたからの愛で生きていけます。ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「人はみな平等です」を知る

なまけものの悟り方より

 

「人はみな平等です」

 

とありますが、

 

それを知るには、

わかった気にならずに、

「私は人とは違う!!!」と強烈に思っていることを、認めたら分かってきました。

認めないと、

その気持ちは、

無意識に

ずっと抑圧されていて、

なくならず、

苦しみのもとになり、

ホントの姿を見えなくしていました。

 

今はこう思います。

 

私は人とは違う

「体験をしてきている」

それはユニークなもの。

だれとも同じではない。才能、遺伝子、努力みんな違う。今の私は誰とも違う。

けれど、

人はみな、ユニークな存在である。

それはみんな一緒なこと。

ひとり一人がユニーク。

ユニークであることは平等です。

他人がなにをしようとも、自分が何をしようとも、自由に、平等です。

 

すると、自分と他人とのあいだに垣根はないことが見え始め、ワンネスだったと知る。

そういうことかと。

 

 

そうすると、

他人と私に違いは無く、ワンネスがただそのままにある

 

 

 

手放し

音楽を聞きながら

恋愛小説を読んでいたら、

 

突然

深く眠っていた感情が

解放されました。

 

子供のときに、

おそれで瞬間凍結されていた

寂しさというか、

困っているのに助けてもらえない時の

ショックというか、

 

悲しい音楽を聞いていたわけでもないのに、

読んでた本は、イケメン多数出てくる、かる~い恋愛小説なのに、

 

わきあがった涙とともに

氷みたいだった感情が、

溶け出して

 

小学2年生だった私

中学生のときの私

を抱きしめて、

流れて去りました。

 

いろんなことが起こっています。

誤解も解けて、

世界が違って見えてきました。

ほんとに、優しい世界だったんだ。

 

不安というもの

音楽の至福の中で、

「不安」について考える。

 

もの好きですね。

 

osho

トランスフォーメーションタロットの中に、

不安のカードがあります。

 

おばあさんがバスに乗っていて、

乗り過ごさないかと不安で不安で仕方ない。

降りるのは終点なのに。

 

解説に、

不安という重荷をかついで、

いつも緊張している。

必要のない不安。

そして、

緊張はエゴのこと。

 

反対に

リラックスは

サレンダー(手放し)

 

音楽は、サレンダーを手伝ってくれます

 

音楽♪

久しぶりに音楽を聞いてます。

サブスクで。

好きなものをすきなだけ。

いいですね。

 

すると、

「ああそうだった、

 思考のない、

 言葉のない世界に

 いつでも簡単に戻れるんだった。」

 

と思い出すのでした。

踊ってみたり、涙してみたり。

 

存在の中に、至福でいる♪

わたしはみんなとはチガウ

って思ってる。 それを言うのは恥ずかしくて。 恐る恐るそれを出すと、 一喝される😅 いろんな意味で否定(?)されて、きた。 そうじゃないよと。 論理1 みんなつらいんだ、あんたけじゃないっていう論理。メンタルなんて甘えだ 論理2 1を通り越してワンネスを知ってる これらは知ってるけど、 それでも、 「私はみんなとはチガウ」って思ったとき。 そこには嘆きや悲しみとともに、 宝とも言える個性、創造性が、眠っているんじゃないかと思う。 ユニークネスっていうか。 私らしさ。 体験をとおした「私」らしさ。 そして受けいれる。 こんなふうに。 ワンネスの中で、好きに生きたらいいよ。 私って単位で動いたらいい。 嘆き悲しんでるうちに、みつかるものがある。 誰ともチガウ、何かが、 みつかるのをまってる。 そんなことかな。

地獄でさえ愛せるようになれば、

あなたは、もう、天国に住んでいるのです。

 

なまけものの悟り方より

 

 

自分の居場所はここじゃない気がいつもしていた。

 

掘り下げていくと、

 

ここにいていいのか

迷惑なんじやないか、追い出されるんじやないかという不安。

 

反対に、

 

こんなひどいところにいたくない、

と、逃げ出したいという不安。

 

不安でいっぱい。

 

ひょんな事で、気づき。

嫌いな人がいても、  

他人から疎んじられていたとしても、

ひどいばしよだと思っても

 

自分はここにいていいんだと心から思えたときに、至福があらわれる