あべこべ

なまけものの悟り方より

 

「私達はみな平等です。」

 

無意識に、

みんなに優しくしなければと思ってしまう。

 

でも、

それは、私を苦しめる考え方。

 

あべこべに、 

「みんな同じく力を持っている。」という信頼をもつ。

 

すると、

私が助けてあげなければって言う観念は、

消えていき、

私に優しくなれる。

 

優しくできない罪悪感も、さよなら。

シンプル

朝だけ、

自分の動きを追ってみた。

 

行動

思考

感情

 

100以上も動いていて、

 

そりゃあ疲れるわけだ

特に朝ごはんは、大したことないと思っていたけれど、

娘の朝ごはんを、メニューを考えて、作って、食べさせて、後片付けして、、、ってやってたらヘトヘト。

現象は、

ご飯とベーコンエッグが出ているだけ、

それも途中で、

あ、お茶も、、サラダも、あ、果物もってなったら私のエネルギー結構使ってた。

 

洗い物まで。

 

コーンフレークに牛乳かけて食べるだけ。

洗い物は夜にすれば、ほとんど手間なし。

 

それでもいいのに、

まあいあかと、大量動作。

一事が万事こんなふう。

 

こだわりでもなく、ただ作業ガタクサン。

気づいたところから減らしていこう

 

 

沈んでいます、、、が

降伏したのかな、

 

投資を休んでみたら、

降伏した気分。

 

低位安定、、、になってみたら、

 

 

目をそらしていて、

受け付けなかった、

「自分」っていうエゴを感じています。

エゴは過去と同義。

 

古ぼけた、ぼんやりとした色の、

分厚い衣装を着ている感じ。

 

幻か、

 

罪悪感に形を変えて私に浸潤してたもの。

道徳的な観念、怖れ。私を縛っているもの。

 

喜びは溶けてどこかへ行ってしまったのか。

 

 

衣装を脱いだら

Enlightenment

 

脱がずに今でもEnlightenment OK

 

やりたくないこと

やりたくないことを

やらなかったら、

 

今の私には

やることが

ほとんど残らないなあ、、

 

なんて思ったけど、

 

ご飯やさんで、

とびきりおいしい

ごはんを食べて、

 

あ、

あったって

思った。

 

 

 

自由

経済的自由

時間、空間の自由

人間関係の自由

 

この3つを求めて起業した人の記事を読んだ。

 

やってみたいことにだけお金を出せる自由

いつでも行きたいときに行きたい場所にだけ行ける自由

気の合う人とだけ穏やかにいられる自由

 

書いてて、

「だけ」を追加してみました。

ずっと自分の心境に近づいた感じ。

 

やりたくないことをやらない自由

 

私の欲しい自由でした。

どうしょうもなく消えたいとき

過去を手放すことにした

 

いろいろな

恥ずかしいできごと

忘れたい過去の出来事を

思い出しては

罪悪感を感じ、

後悔している

 

手放したいはずなのに、

罪悪感を感じること、後悔すること、それ自体に執着しているようだ。

それがだいぶ辛い。

 

そんなに辛いなら、

その執着も手放してしまえ!

 

その裏側の

いい人、良き人、優しい人でいたいという

欲も捨ててしまえ!

 

と、急に思えた。

 

死ぬぐらいなら、

過去の罪、全部踏み倒して、平気な顔でいられるだろう?

それとも、罪の中で死ぬか?

 

今を生きることを選べ

 

辛さの原因になってる罪は幻。

頭の中にあるだけ。

人間関係

人間関係が

世界の全てに見えているとき、

幸せになるのは難しいことだ。

 

たくさんの感情が動く。

あの人がどう思っているか、

それを読みとってどう動くか、、、。

不安や怖れ、刹那の喜びに翻弄される。

 

ホントは、

人間関係以外の世界がいっぱいある。

美しい自然、

おいしい食べ物、

本に映像、音楽。

書くこと、画くこと、踊ること。

 

瞑想の状態のように

 

静かさにとどまりそれらを味わう。

 

そこには、くつろぎと穏やかなしあわせがある。

 

人間関係は、そのあと。

各々がくつろぎと幸せを感じているとき。

 

そこに、

豊かな交感=人間関係が生まれる。