責任感

今まで、

背負う必要のない責任感を

たくさん背負ってきたんだ。

 

背負ってくれる人がいれば、

周りは、

それ幸いと、

受け入れる。 

違和感を感じる人もいるだろうけど。

悪意は無意識の中にあり、背負う人を見下すようになる。

意識的に、感謝で表されることはあるんだろうか。

 

だから

無意識に責任感を感じていると、

できないという罪悪感を呼びよせて、

周りはそこを攻撃するようになる。

当たり前みたいに。あいつが悪いって。

 

だいぶ、非難受けてきた。つらかった。

どうしたらいいのか分からなかったし。

非難の原因は、自分の性格(だとおもっていたから)が好きじゃなかった。できない自分を責めた。

自分から非難されに進み出ていたようなものだった。

 

これは偽物の責任感。

怖れからくる。

自分が受け入れられるように、自分を犠牲にするもの。

でも逆効果。

逆に自分への非難を招き入れる。

 

 

ホントの責任感は、

違うものだ。

責任感 responsibility

応える力

 

自分自身に応える力。

受け入れて、応える力。

 

背負う必要のない責任感と、

自ら受け入れ、応答する責任感を

見分ける目を私は持つんだ。

 

 

貧乏くさい、、、

昨日に続き

 

自分で

自分と生まれ育った実家のことを

貧乏くさいと思っていて、

みじめ過ぎて、

認めたくなかった。

 

いつの間にか夫に投影してた。

 

私は夫のケチくさいところが嫌い。

クーポン使うところとか、

ポイント貯めるところとか、

割引の日に買い物するところとか。

お金の単位が一桁小さいところとか。

 

気づいていたのに

引き寄せられるように

そんな人を選んじゃうから不思議。

 

夫の家族も

浪費家の義母と

事業に失敗した働き者の義父。

 

夫がお金にこだわる姿が、

嫌で嫌でしょうがなかったのに結婚までしてしまった。

 

もちろん、いいとこいっぱいあるけど、

そのポイントが一番大事だった気がする。

 

そういうもんなんでしょうけど。

 

私が自分の惨めさを受け入れたら

気にならなくなるのかな。

 

 

夫婦ってお互い様だ。

もしかしたら、夫も苦しんでるのかな?

 

 

そうそう、

こんなに悩んできたけど、

幸せはお金のところには無いんだった。

お金がからむ喜怒哀楽ゲーム、

もう手放していいよね。

 

幸せに生きようだんな様と。

 

 

 

 

罪悪感

嘘をついてる罪悪感。

 

父が酔っ払って、

みっともなさ過ぎて、

子供心に恥ずかしすぎて、

 

普通の家庭のフリをした。

明るいキャラのふりをした。

 

「私はふつうなんだよ」っていう仮面をかぶって。

ホントはみすぼらしいのに、、、

 

仮面=嘘=罪悪感=孤独

 

辛かったね

今も、自分が惨めで、みすぼらしくて、情けなく感じるなんて。

 

私は癒やしたい

 

佐藤健さん

嘘をついてると、孤独。

そんなことを、

彼が言っている記事を読んで、

すごいなと感じた。

 

嘘をついていると、孤独。

 

確かに。

 

ずっと孤独だった。

 

何に嘘をついていたんだろう?

他者に?

そう、ホントの自分を隠すために。

自分にも?

そう。

だって、ホントのことなんて認めたくない。

自分が臭くて汚いんじゃないかなんて、

親もアル中でみっともないし。

惨めすぎるじゃん。

 

辛かったね。

そんな思いをしていきてきたんだ、、、。

私は私を今抱きしめたい。

責任感と罪悪感 2

罪悪感は、

罪を作り出す。

 

何もないところから。

 

自分が苦しむ方法としても使うが、

 

同じ理屈で、他者を悪者にする。

 

失敗してはならないという責任感→

失敗しないようにという怖れ→

行動が、緊張感に満ちたものになる→

その状況に追い込んだ相手を責める=

(私をつらい状況に追い込んだ罪悪感を感じろ。お前は、罪を犯したんだぞ。)

 

こんな思考を無意識にしてるかと思うと、

自分が怖い。鬼ばばじゃ。

相手に取っては、いい迷惑ね。

 

そもそも、勝手に感じた「責任感」が発端。

私はそこを瞑想のポイントにしよう

 

 

 

幸せ

幸せ

ずっと探していて、

とうとう探すのをあきらめた。

 

探していたところ(思考の中)には無いと、わかってしまったから

 

探していた場所(思考の中)も、

探していた幸せの種類も、

違ってた。

 

探していた場所に、私の欲しい幸せは、無かった。

探していたのは仕事や家庭、生活全体で理屈との中にで探し、

 

私の欲しい幸せは、欲しいと思ってた幸せではなかった。

私の欲しい幸せは、穏やかに安らいでいられること、そのものだった。

お金ではなく、恋人でもなく、物でもなかった。